大正期から書庫狭隘化がすすみ、館内のいろいろな部屋を書庫に転用してきましたが、1931(昭和6)年、武田五一の教え子、吉田信武の設計による増築プランができました。本来の建物のデザインを受け継ぎつつ南北西に約900坪を増す鉄筋コンクリートのその計画案は、1936(昭和11)年に府議会で可決されたものの、翌年の日中戦争勃発により実現は叶いませんでした。

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